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東二条院様は御所様より11歳上の叔母上にあたられる方。
うまくいっておられないのか、こういった席では途中で退出なさることが多い。
男女のことは私にはまだよく分からない。けれど、文を交わしてる相手がいないわけではない。
御簾越しに見える、優しそうな近達の姿。
名を『西園寺実兼』とおっしゃられる。
私が今、文を交わしている御方。
女房になる前、女童の頃から文のやりとりをしていた御方。
私より9つ年上の23歳で、権中納言の地位に就かれていらっしゃる、当代一の名家西園寺家の若き御当主様。
正妻はいらっしゃるけれど、今は文を交わすだけで幸せだった。
「久我大納言、御簾の中へ、近う」
御所様の一言で私は現実に戻された。今は御給仕中。実兼様のことを考えている場合ではなかった。
しかし、久我大納言とは‥。
「御所様。久我の‥」
私が首を傾げ不思議そうに御所様を見つめたからか、御所様はクスリと笑われた。「もちろんそなたの父親のことだよ、二条。そなたの晴れ姿を私だけが独占しては大納言に恨まれる」
そう言われると御所様は声を高らかにして笑われた。
何が原因か分からないけれど、ご機嫌みたい。
そうこうしているうちに久我大納言ーお父様が御簾の内に入り、御所様と杯を交わされた。
私はというと、今日この御所に集まった人達のあまりの酔いっぷりに少し戸惑いながらも、仕事に追われていた。
なぜなら、御所様がお父様にお酒を飲ませすぎるからだ。
それが形式とは言え、お父様も御所様も酔いすぎだ。
そんな中、不意に御所様が呟かれる。「この春からは『たのむの雁』も我が方にな」
するとお父様は何かを察したかのように頷かれ、お酒を飲まれた。
『たのむの雁も我が方に』とは、伊勢物語に出てくる歌のこと。
『みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる』‥まるで田に下りた雁のように娘は一途に貴方を頼み鳴いていることです
『わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ』‥そのように思う貴方の娘を私がどうして忘れることがありましょう
さて、何のことだろう。
色々考えてみたが、私には御所様のおっしゃりたいことがまったく分からなかった。
だから特に気にもしなかった。
何も気にしなかったのだ。
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