靖国参拝について

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靖国参拝について

戦争はしてはいけない。このことと、政府が靖国参拝することとは別のことだと私は思います。なぜ戦争をしてはいけないのか。そのことを私は自国においては広島・長崎の原爆被害や、人間魚雷、特攻隊の方々の記録から主に教えられました。 知覧の平和記念館に展示されている手紙の中に、 「父は九段にいます」 と特攻兵の方が、幼いお嬢さんに宛てた手紙をみつけました。 あの方たちは、一人も笑って出撃なさった方はいないと聞いています。 皆、仕方のないこととあきらめて、覚悟を決めて飛び立っていかれたのです、 「靖国で会おう!」「一足先にいって待ってる」などなど、互いに約束して。 そういう方々の魂に、国が頭を垂れるのはあたりまえじゃないですか。 韓国や中国への理解を求める交渉は簡単には進まないとは思いますけれども。 ここからは、信じてもらえないかもしれませんが、私が知覧の平和記念館を たずねた時、現地解散の予定だったので、友人たちとはそれぞれの車で行ったのです。 帰り道、もちろん車の中は私一人。あの記念館の帰り道に何か音楽を聴く気持ちにも なれず、ただ静かに運転していました。すると、助手席のほうから、男性のため息が 聞こえたのです。私はさほど驚きはしませんでした。 ニ回聞こえたように記憶していますが、これは特攻の方だなと感じました。 そして、最期は「ため息」だったのだと。
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