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「お前さん達に、江戸に入られちゃ困るんだよ。」
言うやともなく、五井前原の大刀は口火を切られてい、切っ先は既に赤い鮮血が滴り落ちている。斬られた方も叫び声すら発することなくただ前のめりに倒れ込んだ。
次次と、迷いもなく正確に袈裟斬りにしてゆく参護に、賊はただその順番を待つ事しか出来ないでいた。六尺の大刀が有り得ない速さで振り下ろされる。常人ならその長さと重さに、ひとたび振り上げれば体を持って行かれてしまうであろう。その五井前原を軽々と扱う参護の筋力は一体どれほどのものなのだろうか。あっという間に十余名の凶賊は骸と化し、一仕事終えた参護は江戸川を背に歩き始めた。
夜も白み始めた頃、役宅から数里離れた田園の物置小屋に、有り得ない男が息を潜めていた。男は裸足に褌以外は何も身につけておらず、髪も髷を切り落とされ一見して《どこからか逃げてきた。》事が安易に見てとれた。有り得ない、と、言うのも、この男、達磨の甚佐である。本来なら役宅の牢獄にいるはずの男だ。
数刻前、弥平に一味の情報を全て白状し、文字通り観念していた達磨だが、「死罪免除」となったにも関わらずこうして逃げ失せるのは悪党の本質であろう。 弥平の僅かに見せた隙を突いて瞬く間に板塀に登り暗闇に乗じて身を潜めた。そしてがむしゃらに当てもなく走り、この田んぼ小屋を見つけたのである。そんな達磨を近くの草群から見張っているのは何と弥平であった。
「こうも、立花さんの絵図通り事が進むと、何だか気味が悪くも思えるなあ。」
感心と不思議さと混ざり合った独り言を呟くと、また息を潜め達磨を見張った。絵図通り、まさに半日前に参護が思い描いた事が実際に起こっている。弥平はわざと隙を作り、達磨が逃げるであろう死角を作った。役宅の外には佐嶋が見張ってい、逃げる達磨の後を追った。さらに小泉がこの補佐に廻る。かくして三人の連携で達磨を見失う事無く追い詰めた。佐嶋は小屋に逃げ込む達磨を確認し、後からきた弥平に後を任せてその場を後にした。」
「小泉さん、いよいよ大詰めですよ。」
まるで他人事の弥平を後目に、わざとこれを無視して小泉は刀の鞘に手をかけた。
勢いよく小屋の扉を蹴破り、瞬く間に達磨の首筋に抜きたった刀を押し当てる。
「達磨の甚佐!神妙に出ませえ!」
怒号がびりびりと朝の空気を響かせた。小泉は普段寡黙なだけに、凄みが一層増す。
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