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現代では、もう東京では滅多に見ることない蛍が、晩夏になればあちこちにその淡光を見る事が出来る程この辺りは水も澄んでいて、また長閑であった。たった百数十年前の出来事なのに、高層ビルと首都高が張り巡らされた現代へと同じ日本とは思えない変化を遂げた。誇るべき、哀しむべき、悲喜交々の時間の流れは、この時代からすればまさに夢物語であったろう。日本史上、最大の愚策と揶揄される《鎖国》は、図らずも爆発的な千変万化への反動力となった、と、これは私見であるが。
参護は台所に立つと桶に泥抜きしておいた田螺を取り出し、ぬたに和えて無造作に皿に盛り付けた。一見、横着な参護の料理だが、それでも拘る点は手間を惜しまない。生姜と茗荷を繊に刻みこれをぬたに振りかけると、爽やかな青の匂いが鼻を刺激した。そろそろ出来た頃と、燗を湯鍋から取り出して弥平に運ばせた。
「まず、俺の感づいたことを云って良いか?第一に、あの店の間取りだ。周りの棚からそれとなく微妙な距離をとって張り込みを難しくさせている。なのにあの大棚だ。第二に、あの親父。時間も頃合い、まして女を売っている店なのに客引きすらしない。ただ《何かを待っている。》様に俺は見えたがね。まあ何にせよ、商売っ気ってもんが全然感じねぇ。そうだ、女を買ったのに一人都合つかないからって返金までしやがった。普通は違う女をあてがうもんだろ。」
弥平が燗を一口濡らし、割って入る。
「それに、あの店の女共、客が来て品定めしてるのに、こっちを見ようともしません。私の勘ばたらきは《何か別の儲け口があるのでは?》と思ったんです。だってあの大棚ですよ。立花さんが云うように、そう、商売っ気が無いんですよ。これはやはりおかしいですよね。」
参護と弥平の疑案は一致し、やや酔いかけた弥平が推理をし始めた。弥平が思う所、あの店は盗賊共の盗人宿で、女達はその盗賊達専属の娼婦ではないか、或いは引き込みや嘗役を兼ねてあの店に待機させているのでは、と。突飛な推理を並べる弥平に対し参護は冷静に分析した。流石に思いも寄らぬ発想に含んだ酒を吹き出す事もあったが、弥平の推理に一つだけ、参護も確信を持っていた。
《あの店は、盗人宿だ。》
「おしんちゃん。浪人二人相手じゃ、汁も枯れるほどだったんじゃないかい?」
店に戻ったおしんは、湯にあたってい一仕事終えた体を温めていた。
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