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参護の冗談を恨めしく睨む弥平が思いついたように、
「今日私は非番ですから、良いんじゃないですかねぇ?」
と、得意げに切って返した。こういうときの弥平はまさにお調子者の若者、年不相応の切り返しは太鼓持ちも唸る程だろう。参護はそんな弥平を心の中で、
〈こいつは俺の、腹違いの弟〉
と想い占めている。実際、弥平自身も兄貴、と慕ってはいたが与力と同心、旗本と三十俵二人扶持の身分の差がひとつ壁を作っていたことは否めない。
暫くして与力の佐嶋が現れた。佐嶋は参護に次ぐ二番手の与力で、後の長谷川平蔵長官の下で筆頭与力を勤める男で、今はまだ、火盗改メ就任三年目の、それでもその知略と捜査における判断力で二番手まで登りつめたエリートである。
「小泉は外に待たせてます」
外を見ると、どこぞの旦那衆に変装した小泉が目配せで一礼した。弥平を合流させていたやに潜入させると同時に、これを機に
〈河岸をかえよう〉
と、団子茶屋の主人にこころづけを渡し、隣の蕎麦屋に場所を移す。さっそく酒を四合注文すると、蛸と隠元の含めが出てきた。珍しい小鉢に参護は箸を延ばすと、これは南蛮(今で言う七味唐辛子)と大葉をかけて食べるのだと佐嶋が教えてくれた。
「むぅ。こいつはうまい。」
あっさりと醤油で炊かれた蛸は歯ごたえ良く、大葉の爽やかさが口の中に広がると、これを酒で胃に流し込む。立て続けに繰り返しぺろりと佐嶋の分まで平らげてしまった。参護はしまったと思ったが平然と中居を呼びつけ小鉢をもう二個と、更科を二枚追加した。佐嶋はいつもの事と気にも留めてない様子である。
「で、丸治屋にはいくらほど眠っていやすんで?」
「最近松戸に旅籠を新しく建てるそうだ。今、金蔵には二千両は下るめぃ」
襖の向こうで野太い声が響いていた。《小柄の相撲取りのような》男が酒を徳利から直に飲み込み若い衆であろう四、五人の取り巻き達とよからぬ談話を続けてい、煙草の煙で部屋の中は真白にもやがかかっていた。
「さて、どうしたものかね…。」
煙管に火を点けながら参護は思案していた。何せ、あの堀長官の事である。余程策を練り、準備周到に事を取り決め、報告しない事には掃討に出張ることが出来ない。また、与力、同心達の志気も下がってしまう。
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