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先に小泉に話したのは、小泉から弥平に上手く伝えてくれるだろうと思ったからでもある。
「しかし、松戸にいるであろう一味は如何しますか?」
佐嶋が言い寄ると、参護がまた煙管を取り出しながら
〈俺に任せろ〉
と、言わんばかりの表情で応えた。
小泉は参護の作戦を弥平に伝え、見張りを交代した。そのまま座り込んだ小泉は綺麗に剃り上げた月代を掻き、切れ長の両瞼は唯一点を見つめている。
小泉一郎太は武州川越の出で、十三歳にして武州名門志木道場の折り紙を渡された剣の天才である。幼少時代はその天才ぶりから大名仕官の道が安泰され、一度は将軍御側用心として内定されていたが、小泉は二十五まで志木道場で稽古に励んでい、辞退してしまった。と、言うのも師範である渡辺栄が病気の為に跡目争いの渦中に巻き込まれていた、いや、自らその身を投じていたからである。小泉は師匠である、もうそれほど永くはない渡辺を最後まで看取るつもりでいた。実力、人望からして後継者の一番候補は小泉である。しかし、小泉は《我生涯稽》を心がけ、師になることを拒んだ。逆にその態度が、渡辺の長男、賢太郎の反感を買ってしまうのである。いつしか道場内でも派閥が生まれ、もう簡単に小泉個人が逃げ出す事も出来ない状況になっていた。渡辺の死後、派閥争いは更に激衡していくが、小泉は六十人近くいた自分の支持者を一人ずつ説得し、自分が身を引くことと、渡辺賢太郎を師として盛り上げていくことを納得させた。そして最後は賢太郎に免状の返却を条件に道場を出ることを認めさせたのである。
小泉のそんな義理を重んじる性格が佐嶋は好きだった。佐嶋は渡辺栄の友人であり、道場生時代から小泉を知っていた。そんな小泉に弓手組試験を受けてみないかと誘いの言葉を掛け、今に至るのである。
(三)
一刻半(約三時間)程経ったろうか、夜鷹達が揃って頬を赤らめ着物がはだけたのもそのままに部屋を後にした。男女の汁が交わった嫌な臭気が立ち込めた部屋の中を聞き耳立てると、鼾と寝息が五月蠅い程に響いている。外はすっかり陽が落ちていた。
「そろそろ、仕事かね。」
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