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西町奉行、池守多久見と堀は犬猿の仲で、顔が合えば所構わず喧嘩を始める。そんな池森がある大物詐欺師を召しとった折、その流暢な話術と、切れる頭脳を人の為社会の為に働かせよ、と罪罰を免じ、牢裁人(今で云う交渉人、ネゴシエーター)として採りたてた。 《極悪人は即打ち首》が当たり前になっていたこの時代であまりにも斬新、あまりにも優妙な裁きに西町の庶民や江戸城の老中迄もが褒め称え、池守の株は急上昇だとか…。やはり堀は面白くない。それを感じ取った佐島は
「まあ、私どもの仕事では、そんな裁き、無理でしょうね。」
と、独り言の様に呟いた。そこに、盗賊を捕縛したと高倉が委細を報告しに堀の部屋に駆け込んできた。佐島は付け加えて
〈達磨の甚佐は縄抜けの名人と謳われております。〉
と、これをわざと聞き逃させる間合いで言い放った。これはもし、堀が思惑通りに動かなかった場合の言わば保険である。定石通りに打ち首になれば、弥平が達磨を逃がしてやる筋書きに責任を堀自身に負わせる為だった。
西町奉行の名裁き話も達磨が縄抜けの達人という話も全て事実ではない。堀をどう動かし、事件を解決させるか参護の読心術、掌握術はずば抜けている。かくして参護が描いた絵図通りに事が動いているのだ。
僅か六畳の座敷牢に投獄された達磨一味だったが、達磨の甚佐の姿はそこになかった。弥平がこっそりと連れ出し例の情報を聞き出していたからである。
(四)
江戸川に差し掛かる手前の茶店で参護は煙を呑んでい、一睡もしてない瞳は黒くもやがかかっていた。
昨晩、達磨から一味の居場所、つまり盗人宿(ぬすっとやど)を聞き出した弥平からその旨を聞き松戸へ駆け下りた。一味の盗人宿は江戸川を流す渡し船の店であった。 松戸は葛飾村と江戸川を挟んだ向こう側にあり、江戸に入るには亀無橋を渡るか舟で矢切桟橋を通る必要があった。達磨の話に嘘がなければもう数刻もしないうちに一味が姿を現すことになる。かくして無頼達十名程がこんな夜更けに徒党を組み江戸川の向こうから現れた。いかにも悪党だと言わんばかりの集団。もはや確認することも無い。
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