660人が本棚に入れています
本棚に追加
/303ページ
…三国時代、蘇州にある呉郡は主である孫家の発祥の地で、この地から幾人もの名士が現われ、歴史に名を残した。
後世、「呉郡の四姓」と呼ばれた名家がある。
顧・陸・朱・張の四家の事である。
呉の中核は元々、こうした有力な名士や豪族、勇敢な者達が集合して成立っていた。
魏の曹操は官位等の法令を基にし、蜀の劉備は仁侠的性格を軸にした国であった。
三国ともに、その国のあり方が異なっていたのである。
呉の主・孫権は父の孫堅、兄の孫策に似て、元々行動的で、古代から言われるようにじっと構えて、威信を保つのを本来好きな人物では無かった。
その証拠に、王位についてからも度々虎狩りに出かけて、重臣の張昭から諫められた事が一度では無かった。
そうした彼の気性から、有能な将軍は非常に大事にした。
罪があっても許したり、度々誉めたたえたりしたのである。
朱桓は、そんな孫権が朝廷から将軍位を与えられた時に、側仕えとしてその幕僚となった。
最初のコメントを投稿しよう!