ハジマルウタ

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 ふっ、と桔梗は溜め息とも苦笑ともつかない笑みを漏らした。 「うわ、こいつ雑巾絞りながら笑ってるよ」 「使い古した雑巾の臭さが堪らなく感じる人?気持悪い事この上無いなぁ」  背後から息の合った暴言を掛けられ、桔梗はしかめ面をそちらに向けた。 「…ちゃんと掃除しないと、神坂さんに怒られますよ?」  そう言うと、何がおかしいのか、まるで小さな猫を印象させる少女が悪戯っぽく笑った。 「怖いの?桔梗。あのチビが?」  自分だって小さいだろうと思ったが、桔梗は敢えてそれを口にせず、少女――七名島仔猫(なななじまこねこ)を睨み付けた。  少女、とは言っても仔猫は桔梗よりずっと年上だ。  具体的な年齢は知らないが、彼女はもう一人の女性、七名島菜々子(なななじまななこ)の双子の姉という事なので仔猫は年齢不詳なのだ。  菜々子は仔猫と違った意味で年齢不詳。  十代とも二十代とも、三十代とも付かない微妙な容姿をしている。  さすがに四十代という事は無いと思うが、そうだと言われれば納得してしまいかねない。 「怖いとか…そういう事じゃなくて」  不意に、辺りを刺激臭が支配した。  まるで溢した牛乳を拭いたような臭い。  いや、これはそれ以上の臭いだ。 「……くっ」  さいまで言えない。  あまりの臭さに臭いと言い切る事すら出来ない。  目の前の仔猫はいつの間にか大きなマスクをしていた。 いや、ガスマスクと言った方が正しい。 「な…なこ……さ」  鼻をつまみ、口を必死に覆い隠して彼女の方を見る。  彼女は、今日一日使い続けて汚れきった雑巾に豆乳を浸していた。 「あはは、臭いわ菜々子。最悪ね」  少し離れた所で仔猫がくぐもった笑い声をたてる。  桔梗が腐臭にもがいているのを無視し、仔猫と菜々子は意気揚々と去っていった。  薄れゆく意識の中、桔梗は菜々子が投げ捨てた豆乳のパックを見た。  賞味期限が、一ヶ月ほど過ぎていた。  遠くから、由比の鼻唄が聞こえた気がした。
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