8 ツバキとアヤメ

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(ああ……)  涙が出そうになる。  この瞬間が、いつも幸せだった。  この瞬間だけ、安心できた。  その気持ちを心の奥底に必死に閉じ込め、アヤメは扉の向こうに居る姉に労いの言葉をかける。  「大丈夫……?」  声をかけるだけで、アヤメがその扉の取っ手を握ることはない。毎朝、毎朝、彼女はただその扉を叩くだけだった。  アヤメはその扉が怖くて、それ以上それに触れられなかった。  自分ではないのに、その扉の中にいる自分と同じ顔のツバキが、鏡の中の自分の姿であるような錯覚にとらわれるからだ。  生け贄になるのは、私じゃない。  私じゃないのよ、ツバキなの。  そう自分に言い聞かせていないと、頭がおかしくなってしまいそうだった。 「姉さん」  アヤメは、はっと我に返って、声のする方を見た。取り繕う余裕もなく振り返った自分の顔は、きっと真っ青だったに違いない。  だが、十歳にも満たない弟は、アヤメの顔色の悪さに気付いていないようだった。 「おはよう、姉さん」
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