8 ツバキとアヤメ

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  ◇◆  アヤメは絶望に打ちのめされていた。  その扉がアヤメを絶望へと導く。その扉が音を立てて閉まる度に。もう何度も、何度も、アヤメはその音に絶望している。 「……」  分かっていた。  彼の笑顔は自分に向けられたものではない。  彼はツバキの絵描き。  今はツバキだけを見つめる絵描き。  以前、彼はアヤメの絵も描いてくれていた。赤い椿の花が咲く庭を背景にしたアヤメの肖像画を父親が気に入り、ツバキの生前の姿を描くようにと、清次郎に依頼したのだ。  絵が描き終われば、ツバキは死ぬ。生け贄にされる。そのことを知った彼の筆はひどく遅かった。 (清次郎さま……)  アヤメは清次郎の姿を呑み込んだ扉を恨めしく思い、じっと見つめた。  清次郎がアヤメの熱い視線に気付くこと決して無い。きっとこれからだって、絶対に無い。  彼の目にはツバキしか映っていない。  ツバキだけを見つめ、ツバキのために生け贄となる儀式の日を遅らせ、ツバキのためだけに微笑みかける。
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