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それだけ、準備が切羽詰っていて、だから自分の存在に気がつかない、ということなのだろうか。それにしては──。
(オレ……見えてない?)
そう。まるで、直久などそこに存在しないかのように、人々は通り過ぎていくのだ。不思議とぶつかることなく、風を切るように。
そういえば、と直久は眉を詰めた。
階段でも何人もの人とすれ違ったが、やっぱり誰も直久に気がついていなかった。ぶつかりそうだと思って避けたのは直久の方だったから、全然気にしていなかったが。
これはもう確かめるしかない。そう意を決した直久は大きく息を吸い込んだ。そしてありったけの声で叫ぶ。
「すいませぇーーーんっ!」
これだけの声量なら、さすがに皆に聞こえるはずだ。だが──。
「……まじかよ」
誰一人として、茫然としている直久を振り返る者はいない。
やはり、自分のことが見えていない。
聞こえていない。
(でも……アヤメさんは見えてたし、しゃべってたよな……)
とすると、やはり自分を見ることのできるアヤメが、自分をここに呼び寄せたと考えるべきだろうか。
うーん、と腕を組み、唸りながら、直久は開かずの扉の前に仁王立ちしているしか、なすすべが無い。
(でもまあ、せっかくここまで来たしぃ? 扉の向こうがどうなってるのかも気になるしぃ? ツバキちゃんにオレが見えなかったら、アヤメさんで決まりってことになるしぃ?)
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