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彼は、ため息をつきながらアヤメのすぐそばまでくる。そしてクルリと体を反転させ、そのまま床に座り込んだ。
「彼女を助けたいんだ」
「…………そう」
やっぱり、とアヤメは思った。
だから言ったのだ。助けが必要なのは姉の方だと。
彼が何者なのかは知らない。今だってどうやってこの部屋に入ってきたのか、わからない。部屋の扉が開いた気配はなかったし、だいいち、鍵がしまっている。先ほどだって、彼はいつのまにかこのソファーの上に寝転がっていたのだ。不審人物というよりも、この世の人ではない気がした。きっと山の神が使わした使者なのかもしれない。
主である神にふさわしい生け贄を連れて行く。それが彼の使命なのではないだろうか。
ツバキか。それとも……自分か。
清き心をもつツバキは可哀相だから、アヤメを連れて行こう。
そんなふうに彼は思ったのではないだろうか。
(もう、どうでもいいわ……もう……どうでも……)
楽になりたい。
幸せになりたいとは言わない。
生け贄のツバキが逃げないかどうか、怯える日々を早く終わらせたい。
「ツバキを助けてあげて……」
アヤメの声がかすれた。でも、本心だった。
この生活から開放されるなら。
自分が生け贄としてツバキの代りに死ぬのもいいかもしれない……。
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