10 寒椿

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 これはいつの記憶だろう。そう考えたが、すぐに先ほど直久と一緒に逃げた時のことだと気がつく。 「でも、清次郎さま。逃げるなんてそんなことできるわけないわ。お父様が困るもの」  清次郎?  明らかに、自分にむかって清次郎とツバキが言った。  ツバキは、直久を清次郎だと思って話しているということだろうか。  つまり、これは、ツバキがアヤメと清次郎の言い争い現場に鉢合わせし、その後ツバキが清次郎と二人で部屋へ戻った時の記憶だということだろうか。 「でも、そうね。アヤメが私の代りに生け贄になってくれれば、逃げられるかもしれない。私とアヤメが入れ替わればいいのよ。そうすれば、私は清次郎さんと、これからもずっと一緒にいられるわ」  直久はもうツバキの顔を見ていられなかった。  そう、こうして、ツバキはアヤメをあの部屋に閉じ込めたのだ。  今まで、自分と同じように、別の地下室に閉じ込められて生きてきたのだと信じて疑わなかった妹は、自分とはかけ離れた、天国のような世界に生きていた。それを知ってしまった。  どうして、自分だけが。こんな思いをしなくてはならないのか。  そう思ったに違いない。それを証明するように、ツバキは続けた。 「今までの私の苦しみを、味わって貰わないとね」  ふふっ、と可愛らしい笑みを浮かべるツバキに反して、直久は青ざめ縮み上がった。
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