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浅井家に嫁いで間もないお市は、まず小谷城の城内、そして、家臣団の顔と名を覚えることから始めた。
「此処が姫様のお部屋ですよ。」
「此処が、市の部屋…?」
少し年を重ねた、恐らく侍女を纏め上げているらしい女中に、お市が案内されたのは、本殿から少し離れた一つの部屋だった。
「はい。少し離れですが…城内で一番縁側が綺麗な所です。」
「本当だ…」
ばっ、と女中が障子を開くと、目の前には壮観な庭が広がった。
「お気に召しましたか?」
「うん…とっても綺麗…」
「それは良かった。では、失礼致します。」
「有難う…えと…」
一礼し、部屋を後にしようとする女中に、お市は声をかける。
「お比菜[ひな]と申します。」
「お比菜さん…?」
「『さん』など恐れ多いですよ。要りません。」
微笑むお比菜。
「じゃあ…お比菜…有難う…」
「はい、姫様。」
今度こそ、お比菜は部屋を出ていった。
暫く慣れぬ部屋で庭を眺めていると、此処は尾張ではないのだとひしひしと感じる。
清洲の庭も、手入れされていないわけではないが、如何せん日当たりが悪い。
花が余り育たないのは当然だが…やはり故郷と違い、華やかだというのは些か親しみづらいものがあった。
(全然…違う…)
けれど、これからは此処で暮らして行くのだ。
(市…やっていけるかな…)
そんなお市の悩みなど、知る由もなく、庭先の花は穏やかな風に揺られていた。
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