追想

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雨は昨日で止んだけど、風はまだ強くて、そこら中を桜の花びらが風に乗っていた。 上を見上げると、朝より少し緑が増した桜が揺れていて、動く度に花びらが落ちてきた。 視線を正面に戻すと、誰かが桜を見上げていた。 遠くても分かる。雫だ。 近付いて行っても雫はちっとも気付く様子はなく、ただ上を見上げていた。 「雫?」 声をかけると、ゆっくりと雫はこちらを向いた。そして嬉しそうに 「見て!満開だよ!」 と、頭上を指差した。 雫の指の先を辿るように上を見上げると、見事なほどにピンク一色な世界が広がっていた。 「すげぇ。」 俺の口から洩れた言葉はとても単純で、でもそれしか思い浮かばなくて。 「うん。すごく綺麗。」 雫は俺の隣りに立って、また朝のように桜を綺麗と言った。その時の彼女の横顔は今でもはっきりと覚えている。 キラキラと輝く真直ぐな瞳が桜から俺に移った時、俺は彼女の瞳から目が話せなくなってしまった。 「帰ろっか?」 そう微笑んだ彼女の笑顔は、俺が見たことのないものだった。 まだ幼さが残る、だけれどもどこか大人を感じさせる表情だった。 ――愛しい。言葉にするならこれがしっくりきた。そんな思いが体中を駆け巡った。 本当はもう気付いていたのかもしれない。ただそれに自分で強く蓋をしてしまっていただけなんだ。 雫が好きだという気持ちは心臓が胸を強く叩く度に、たくさん胸の中に溢れていった。
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