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――彼女の靴は、赤かった。
童話みたいな、赤い靴を履いていたわけではない。
ただ、彼女の靴は赤かった。
薄暗いトンネルを仄かに橙色をしたナトリウム灯が照らす。そんなトンネルの中でさえ、彼女の赤は際立って見えた。
トンネルを抜けたら大通りを左に曲がって、人気のない住宅街の方に向かう。
曇った夜空の下を彼女は歩く。
彼女の通った跡も、靴みたいに赤かった。
目指す場所は決まっているから、彼女は迷わずに歩き続けた。
電灯のない道の電柱の陰でディープキスをしていたカップルが彼女を見てきゃあと叫んでいる。
もしかしたら二人が叫んだのは羞恥、かもしれない。
彼女の気分は高揚していた。
緊張してたのはあそこから出て数百メートル。
今の彼女は幸せだった。
赤い靴で軽やかなステップを踏む。
タタン、タタタン、タン、タタタン
タタタン、タン、タタン、タン、タタン
軽やかに、かろやかに。
そこは見慣れたワンルームマンション。
階段の電気は虫が集ってて、廊下の壁には蛾が張り付いてた。
切れかけの電灯が点滅する302号室が彼の部屋だったから、彼女は軽く、ノックした。
彼は彼女を見るなり、叫んだ。
彼女は言った。
アナタノノゾミドォリニ、××シタヨ?
アナタノタメニ、××シタンダヨ?
アナタ、イッテタジャナイ
××ナンテ、××ジャエッテ
赤い靴の彼女は、幸せそうに笑っていたけど、彼は泣いていた。
泣くほど幸せだったのかと彼女が近づくと彼は怯えた顔をしていた。
く、来るな! この×××!
彼は叫んだ。弱々しい叫びである。
腰が抜けたのか、男は玄関に座り込んだままずりずりと後ずさる。
その床は軽く湿っていた。
彼女は言った。
コレデ、アナタトフタリキリナノヨ
ワラッテヨ、ネェ、ワラッテ?
そうして彼女は玄関に入る。
後ずさりしても彼女の手にすぐに彼は捕らえられてしまった。
彼女は彼の首筋にキスをする。
愛おしそうに舐めて、そして。
いつの間にか黒くなっていた彼女の靴が、また赤く染まった。
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