屋根裏部屋の女

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 この屋敷の元々の主人は、何代にもわたり海洋貿易によって財を成した商人の家柄で、この屋敷もその商家のいずれかの当主が建てたものであろう。  彼自身も若くから父より受け継いだ貿易商社で莫大な利益を上げ、自国の経済の発展に大いに寄与した。  また、彼は敬虔(けいけん)なカトリック教徒でもあり、彼の寄贈した財産により、実に八軒の教会と二軒の孤児院が建立され、この地方のカトリック教会に対する貢献も甚大であった。  これらの功績が認められ、三十歳にしてついに伯の爵位が授けられるまでに至った。  ただこの時代、敬虔なカトリックという言葉には二つの意味があり、一つは「カトリックの教義に敬虔な者」、もう一つは「カトリック教会の持つ権威に対して敬虔な者」、彼がそのどちらであったのか、今となっては知る術もない。  とにかく、こうして貴族としての確固たる地位を築いた彼は、三十六歳で十歳年下の妻と結婚。その五年後待望の第一子を授かるが、妻は難産の末、子と引き換えに命を落とす。  産まれた子は女の子であった。  娘の誕生と妻の死を、同時に与えられた彼の心境は如何ばかりであったか。それは知るべくもないが、それからの彼は貿易商社の経営を後進に譲り、周囲との交わりを避ける様になった。  それから更にニ年の後、彼は突然再婚する。  その真意はしばらくの間謎であったが、およそ半年後、彼の死と共に明らかになる。  彼は、妻が夭折(ようせつ)した約一年程後より病に冒され、己の死を予感していたのであろう。  そこで心残りなのは、妻の忘れ形見である、一人娘の事である。  彼は自分の亡き後、替わりに娘を育てる人間を探した。  結果、彼の求めに快く応じた二人の娘を持つ未亡人を迎え入れる事となるが、彼の大きな誤算は、笑顔を見せる者が必ずしも善人であるとは限らないという事、そして、善人を迎え入れるには、彼の財産が莫大過ぎる事を失念していた事であろう。  彼の死後、その未亡人、否、伯爵婦人は、実にささやかな葬儀をつつがなく済ませると、その本性を露(あらわ)にした。
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