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中通島は九州本土に一番近い位置にあり、福江島に次ぐ五島第二の大きな島で、北東と南東に半島を突き出していて、北東は本土の北松浦郡へ、南東は西彼杵郡へ本土と離れたくないといった格好で手を伸ばしている。この両手に抱かれて、懐深く入っているのが有川湾である。
北東に伸びた半島の中程に有川湾に面して立串という所がある。立串港から更に三キロばかり北に小瀬良と呼ぶ小さな村があって、岬を一つ廻った隣村の大瀬良と共に玉石で敷き詰められた綺麗な浜辺を有している。
この地方のほとんどの村がそうであるように、小瀬良も浜辺に住む人達を「村の者(もん)」、山腹に住む人達を「拓(ひら)きの者」と呼んでいる。
「村の者」の住居は漁労に便利な浜辺を占領し、幾らかの水田も有しているが、「拓きの者」は山腹に段々畑ばかりである。これは明らかに「村の者」が先住民であり、「拓きの者」は後々入植した住民であることを物語っている。そして「拓きの者」は全部がカトリック信者か隠れ切支丹であることを考えると、先にも触れたが豊臣時代から徳川幕府に至る一連の切支丹弾圧に逃れて、この地方に生活を求めた人々であろうと思われる。父は「自分が伝え聞いた話では、先祖は長崎県西彼杵郡神ノ浦近くから出たのだそうだ」と、私は聞かされた。
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