五島から佐世保へ

13/48
前へ
/483ページ
次へ
やがて父が十七歳になったとき、村の人々は、 「早よ熊次郎に嫁を持たせにゃ」 ということになり、同じ小瀬良で久我造という人の娘であった母と結婚させられた。 そのとき父が満十七歳、母が十六歳であった。後々父はよく私達に 「五島の山の中に居て世間のことは何もわからない若さで結婚して大変な苦労をしたので、お前達には若いうちの結婚はさせたくない」 と逑懐したものである。(参考までに…父は五島一番と言われる程の男前であった。母には姉が居て父は姉の方を望んだらしいが、母が「私が行く」と姉を押し切ったそうだ)
/483ページ

最初のコメントを投稿しよう!

925人が本棚に入れています
本棚に追加