五島から佐世保へ

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さて、話を戻して父達五人の移住希望者が佐世保視察に出向いた頃は、このような突貫工事もとうに終わり、諸設備も完備し先年SSKが造った十三万トン、世界最大のタンカー日章丸が繁船してもなお余りあった立神岸壁や海兵団海軍工廠など軍港として華々しく活動していた大正十二年のことである。 父達は佐世保市の小作をさせてくれる地主をくまなく当ってみた。早岐方面にも足を伸ばしてみたが、何しろ五家内の入植を好条件で迎える土地は見当たらなかった。小作の条件は厳しかったり、土地が痩せていたり、五家内が満足して入る土地はなかった。
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