五島から佐世保へ

42/48
前へ
/483ページ
次へ
私と同じ年になる人吉さんの息子で忠雄というのが唄ったオハラ節が今でも印象に強く残っている。 “五島の米飯や正月か盆か 親の年忌か オハラハー嫁入りか ア、ヨイヨイヨイヤサー” “愛宕山からとんで来たカラス 金も無いのに オハラハー 買お買おと ア、ヨイヨイヨイヤサー” 小学校四年生くらいの時である。またこの催しに必ず出た五目飯のうまかったことが今でも忘れられず、家内の下手な五目飯にぐちをこぼすのである。 輪番で佐世保の私の家でも催された。今でも相浦の本家にはこの親睦会に備えて購入した、漆塗りの足付お膳や陶器類が三十人分位あり、戦後私達兄弟の結婚の宴にも大いに活躍したものだ。
/483ページ

最初のコメントを投稿しよう!

925人が本棚に入れています
本棚に追加