五島から佐世保へ

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当時一同の農業知識は甚だ原始的で、どんどん野菜でも生産して市場に出すというには至らなかった。都心には余りにも遠く、たまに女達が篭に入れた野菜を担いで佐世保の小島町辺りまで売りにゆくくらいのもので、やはり芋、麦を主体に作って食べる生活は、五島に居るときと余り変わりはなかった。そこで農閑期には現金収入の道、日雇いの労働をしたのである。 船越から一山越えた佐世保側に赤崎という所があり、そこには軍艦の燃料である石炭や四角な練炭が海岸線数百米にわたって山積みされていた。それを艀(はしけ)に積み込む人夫の仕事に父母達は出たのである。 この人夫のことをゴンゾウと呼んでいた。ゴンゾウの語源はどこから出たか知らないが、若松あたりの石炭人夫のこともやはりゴンゾウと呼んでいた。
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