五島から佐世保へ

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当時佐世保でサラリーマンといえば海軍関係の仕事しかなかった。父は海軍工廠に入りたかったのだが、工廠での求人は無かった。丁度その折、軍需部に傭人募集をしていることを知った。父はそれに応募したのである。 父は学問にも非常に興味を持っていたようで、解らないことがあれば人に聞いたり、唯一の宝物みたいに持っていた一冊の辞書で調べたりして知識欲が旺盛だった。この辞書は私達が小学校の頃も、やはり一家の宝物的存在であったように思う。 父の小学校時代の成績は優等生であったと母から聞かされていた。私の小学校時代の通知表を見て母はよく嘆いた。五島から移住するとき父の通知表を焼かずに持っていて見せたかった。父の通知表は“甲”ばかりであったそうだ。 「お父っつあんの爪の垢を煎じて飲ませる」とよく言われたものだ。 軍需部の採用試験には父は見事合格した。他の四名の仲間も喜んで祝福してくれた。 だが此処からでは地主との取決もあって通勤できない。そこで佐世保の方に住まいを求めたのである。
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