船越から大野へ

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そのとき家族は両親と勇兄、ソノ姉さんと浩太郎兄と私、親子六人の世帯で大正十四年のことである。翌十五年に弟の孝が、この大野で生まれている。 大野での生活は私は幼くて、ほとんど記憶がない。その後白南風町に移ってからも両親は、この大野の人達と交流があって私もよく母に連れられて大野に遊びに来ていたので、どのような家があって、どのような人が居たかよく覚えている。離れを貸してくれた教会の役員さんの長男で源さんとかいったようだが、弟と二人で鍛冶屋をやっていた。 白南風町からよくそこへ遊びに行って鍛冶場の仕事を見つめ、フイゴの火を見つめていたことを想い出す。コマの拳(けん)を造ってもらったこともあった。遠いまぼろしのような想い出である。後々この兄弟鍛冶屋は潮見町の低地に下りてきて大々的に鍛冶屋を営んで成功していたようだ。クリスマスの日、教会で、この源さんが芝居をしたのが非常に印象に残っている。又、私が五~六歳の頃、教会の慰安運動会で、この大野のマーチャンといっていたお兄さんが私の手を引いて走ったことも記憶にある。 後年、この大野の人々がどうなったか私には明らかでない。
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