五島から佐世保へ

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私の家の家系は、三代さかのぼれば何者だったかわからない。私の父も十人兄弟の末子に生まれときは自分の祖父母はすでに、この世にはいなかった。何れ私達は貧しい百姓の子孫であることは間違いあるまいと思うが、系図もなければ言い伝えも私は知らない。 ただ、私達が生まれながらのクリスチャンのカトリック信者であり、父母の故郷である五島の村人達のほとんどが隠れ切支丹でありカトリック教徒であるのを考えると、私達の先祖は徳川時代の切支丹の圧制に逃れて、五島に渡った者達が山野を切り拓いて、一つの村落を形成したのであろうことは想像に難くない。 父は長崎近郷の村から五島へ渡ったと聞いているそうだから、この想像は間違いではないと思う。 もう少し早く調べていたら、或いは三代先くらいまではわかっていたかも知れないが、今となっては多くの父の兄達は他界し、五島の長老達も、もう居ない。史実を調べて廻れば少しは解るかもしれないが、そのような暇は私には無い。
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