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アメリカは、昭和19年(1944年)7月にサイパン島等のマリアナ群島を制圧すると、そこを日本本土空襲の拠点とした。
この年の11月14日以降、東京は106回の空襲を受けるんだが、特に翌昭和20年(1945年)3月10日の空襲は「東京大空襲」と呼ばれる。
この空襲(東京大空襲)以前の空襲ではアメリカは比較的、紳士な姿勢をとっていた。(と言っても空襲ですから・・・当たり前ですが犠牲者は出た様ですが💦)
と言うのも、これ以前(?)日本は中国大陸に於いて無差別的な空襲を行っていた為、アメリカはこれを非難し自分達はピンポイントの空襲を試みていたのです。
空襲部隊の指揮官はB29のパイロットに対して「どこそこの建物に被弾させる様に」「どこそこの建物をターゲットにしろ」と言った風に具体的に指示していたらしい。
ところが、東京大空襲の一週間前になって突然、指揮官が解任されてしまった😵💧
後任の指揮官は、パイロット達に対して「兎に角、低く低く飛べ」と指示したと言う。
これは当時レーダー照準を用いた高度精密爆撃だったが失敗もまた多く、その為の低空飛行爆撃だったとも言われているが・・・・。
この時、投下されたのは焼夷弾。これは、現在のクラスター爆弾💣の原型である。
クラスター爆弾って、一発落とすと中から無数の子爆弾💣が出るってヤツである。
筆者から見れば、低く飛行して成功しても高く飛行して失敗しても、投下物が焼夷弾の時点で新指揮官は何をしたかったのか疑問だ💦
それまで、アメリカが掲げてきた正義って一体・・・・💦💦
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