鶴首

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 その男、紀州(現在の和歌山県から三重県南部)から来た鉄砲放ち。名をタタラガと言った。 鉄で出来た鬼の面を被り、織田信長を目前にしても、その鬼の面を外そうとはしなかった。 『タタラガと申す者、その鬼の面を取れ。殿の前で無礼であるぞ。』 織田信長の側に控えていた木下藤吉郎が言った。 タタラガはうやうやしく平伏しているが、額の両端にある二本の角が、信長と藤吉郎二人を突き刺すかのように鋭く前に伸びていた。 『まぁ、良いサル。』 織田信長が木下藤吉郎を、こう呼ぶ時は機嫌がいい。機嫌の悪い時は、ハゲネズミと呼ぶ。この時はさすがの藤吉郎も顔がこわ張ってしまう。決まって無理難題を押し付けてくるからだ。 『どうやら殿に気に入られたようじゃな。』 藤吉郎の落ちくぼんだ目に安堵の色が窺える。 元亀三年(西暦1572年)季節は秋から冬へ移り変わろうとする頃。 天下人を目前に見据えた織田信長であったが、居城はまだ岐阜にあった。 『その方、タタラガとやら…。鉄砲の腕前は紀州でも一、二を争うと噂を聞いたが、どれほどの腕前じゃ?。何故に鬼の面を被っておる?。その方と今井宗久との関係は?。』 自ら第六天魔王を名乗る信長の事、まるで異界から来たかの様なこの男の姿には、よほど興味をそそられたのであろう。矢継ぎ早に詰問しだした。 タタラガは片膝を着いた姿勢で、鉄鬼面の裏側から太く力強い声を響かせた。 『我等、紀州の鉄砲放ちの間でも最高の称号、鶴首を頂いております。』 鬼の面の口には数本の牙が並んでおり、その隙間から人間の口唇が動いているのを信長は確認して聞いた。 『かくしゅ…。どう言う意味じゃ。』 『六十間先の鶴の首を撃ち落とす事が出来ます。』 六十間とは約百メートル超である。 『うわはははーっ!。』 藤吉郎の甲高く、ワザとらしい笑い声が響いた。 『それは、また大きく出たものじゃな。六十間先の鶴の首など、撃ち落とせるワケがない。』
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