別れの日

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お母さんが死んだのは入院してから一ヶ月後、雪が降る寒い日だった。 その頃のお母さんは薬のせいで意識もほとんど無く、口には酸素を送り込むマスク、身体にチューブが入れられていた。 あたしはもう、これ以上、お母さんの苦しむところを見たくなかった。 呼び掛けても答えず、お母さんが生きているという証は、機械のピッ…、ピッ…、という音だけ。 こんな状態で、生きてるって言えるの? 親戚が何人も集まってお母さんを囲んでいた。みんな涙を流して、逝かないで、とかまだ早いから、とお母さんに呼び掛けていた。 あたしは何も言わなかった。 おいていかれるのはたしかに辛い。 でも、それを逝かないでと縛り付けることは、遺されていく者の感傷であり、ワガママなんじゃないのか? お母さんは苦しんでいる、早く楽にしてあげたい。
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