10.憐情

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   渉が掲げたのは、朱美の指から引き離した一本のプラチナ。  それは今や単なる金属に他ならず、何を縛る効力も持ち合わせて居ないに等しかった。  戸籍や、心だって。  朱美が人知れず受けていた傷を映すかのように、窓からの光を受け取って鈍く輝き、押し黙り。  渉はベッドから立ち上がると、静かに窓を開けた。  高台に位置した此処から見えるのは、見慣れた筈の我が街並。  視線が変わればこうも違えて見えるのかと、胸の空く気持ちで眺め、乾燥して喉を痛めていた室内とは異なる新鮮で冴えた外気を一息に吸い込んだ。 「渉君?」  壁に凭れてどうにか起き上がっている朱美が、流れ込む微風に揺れる渉の襟足を見詰めた。  そして。渉は。 「ちょ……!」  勢い良く腕をしならせ、手にしていた朱美の結婚指輪を思い切り放り投げる。  弧を描いたそれは、まだ高い位置に居座っていた太陽に照らされ、瞬きをする間も無く姿を失った。  何処まで飛んで行ったのか、推測することもままならない程、速く。 「だって、必要ないじゃん」  振り返り、言いながら渉は窓を閉めた。  二度と目にする事も出来ないであろうと思うと、本当は今すぐにでも高台を駆け下りて捜しに行きたい気にもなった。  それでも朱美は。 「……もう」  両腕を伸ばし、渉を誘う。  自分でした事に始末の悪さを感じているらしい表情が、すんなりと朱美の胸の内に収まった。 「悪い子なんだから……」  渉が驚きを見せたのは、普段は殆ど年上ぶらない朱美の、意外に豊かだった包容力。  この世に再び目覚めて間も無いながら、確かにその生命を訴える鼓動が少しだけ早くて。  それはそのまま微睡んでしまいそうな、穏やかな冬の日。  さらりと路面を覆っていた雪も、日陰に僅かばかり残すだけで後は日差しに溶かされ、その姿を隠したようだった。  絡めた指の温度に甘えて、渉は何時までも頬を寄せていた。  やけに空いた胸の内で、新たな決意を秘めて――。  
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