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人は、忘れる生き物だ。
眠くなったら寝るように。お腹が空けばご飯を食べるように、忘れることは当たり前で日常茶飯事なこと。
でも、忘れたくないことは、絶対にあるものだ。
薄れていく思い出。最初は悲しいかもしれないが、やがて、忘れたことさえ忘れてしまう。
あのときは、分からなかった。
忘れるのが、居なくなるのが、ここまで恐いなんて。
『私にとっての家族はみなさんですので。
療も想一郎さんも零さんも桜さんも脚斗さんもお父さんも、そしてもちろん大輔さんも。
みんな私の家族です』
愛は言った。あのとき。自分を家族と言ってくれた。
それでも今日ほどの感動はなかった。嬉しいとは思ったけど、それ以外の感情はなかった。
あのとき俺は、一体どこから愛を眺めていたんだろう。
家族の中から? 最下荘の一員として?
ひょっとして、まったく関係なかった第三者の視点から眺めてはいなかったか?
『今いるみなさんは違います。
一緒に居過ぎたんです。
もし……誰か1人を見送らなきゃいけなくなったとき……私は……どうすればいいのでしょう……』
家族がいなくなる。
数日前まで、その辛さがイマイチよく分からなかった。親はまだ生きているし、ほかに兄弟も姉妹もいない。
だから言えた。
―――そんなに今から考えなくてもいいんじゃないですか?―――
考えるから辛くなる。未来に起こることは、その都度考えればいい。
辛いことを考えれば気持ちはどんどん落ち込んでいく。だったら考えなければいいじゃないか。
「……ほんとに馬鹿だよ。俺は」
きっと、愛はわかっていた。考えるだけ辛いということぐらい。
それに、そんなその場限りの答えが聞きたかったわけじゃないだろう。あれぐらいで良いのなら、わざわざ新参者の俺に聞かなくても良かったわけだ。
でも愛は俺に訊いた。
それを―――
「……たまらないな」
ずっと居て欲しいなんて、最下荘の大家である愛が言えるわけがない。
見送るときどうしたら、なんてずっと誰にも言えなかったに違いない。
あのときは、まだ自分が新しい入居者だったから、訊けた質問だったのに。
「もっと真面目に考えれば良かった」
もう愛が、自分に弱音を吐くことはないだろう。
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