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「んっ」
突然のことに戸惑い、何も考えられない。
がりっ、と音がして同時に顔が離れる。唇に残る熱。そして痛みと血の味。唇を噛まれたのだ、と気付いたのはその後だった。
「いきなり何するんですか」
先輩は掴んでいた僕のネクタイを離す。バランスを崩しかけるも堪えた。
不本意にでも先輩に触れて、僕は確信していた。
「だってお前いつまでも俺のこと幻覚だと思ってるし。怖がって触れてこねーし」
いきなり押し倒されるよりはいいだろ? と本気か冗談かわからないセリフを言ってくる。
この先輩は本物だ。
理解すると共に喜びと切なさと怒りがないまぜになった感情が込み上げる。
「なぁ、リク。お前さ、だいぶ人間っぽい顔になったな」
「どういう意味です?」
それだとまるで今まで僕が怪物か何かだったようだ。
「昔はそうやって感情が顔に出なかった。いつもへらへらしてやがって、笑ってんのに、目は笑ってなくて」
正直気持ち悪いくらいだった、と先輩は続ける。
でも、そんな僕を気に入って無理矢理文芸部に入れたのも先輩だ。
「だけど、そんなリクだから気に入ったんだけどな」
「そうですか。で、幻覚でない本物の空哉先輩が何のご用で?」
僕は強引にキスされた怒りからか乱暴に尋ねる。
「恋人の顔見に来たら悪いか? それに、俺は今リクに怒ってるんだ」
あぁ。だから機嫌悪いのか。
自分のことなのに、人事みたいに僕は納得した。
「僕が何かしましたか?」
「うん。お前さ、合コンいったろ」
「……」
記憶を辿る。たしかに行った。
「それに最近メールも電話も冷たい。無視か忙しい、で終わりだ」
それは記憶にある。わざとやったことだからだ。
「そこにお前が合コンいったって話が知り合いからあってな。なぁ、俺のこと嫌いになったわけ?」
直球。この人は躊躇いや戸惑いなく真っすぐきいてくる。射抜かれそうな視線を受け止め、僕は何も言えなくなった。
「なぁ。俺より女の子の方がよくなったのか? 答えろよ」
声が怒気を帯びる。相変わらず目には適当な答えを許さない激しさ。
僕は答えられない。
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