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「流嘉、アンタそんな難しいことばっか考えてると将来ハゲるわよ」
沈んだ空気を元に戻すためいつものように軽口をたたく。
「本当は簡単なことを難しく考えるのは俺の趣味だよ。それに思考は人間に許された唯一にして最大の娯楽だ」
さっきまでの真剣な顔を一変させ、普段の顔つきに戻る。沈みこんでいる流嘉も好きだけど、やっぱりあたしはこっちの流嘉がいい。
続けてあたしが口を開こうとしたとき、ちょうどチャイムが鳴り響いた。
「終わったみたいだな」
「そうね」
今日も終わってしまった。また一週間、待ち望む日々がくる。
目の前の流嘉が立ち上がり、帰りの支度を始めた。
「帰るの?」
「ん、あぁ。今日は部活に顔だし。照明関係でな」
言いながら流嘉の手は片付けを続ける。たった一言で流嘉を動かせる演劇部が少しだけ恨めしい。
「だから今日は先行く」
片付けが終わったようで、そう言って鞄を肩に担ぐ。
あたしの横を通り過ぎるとき、流嘉は手を伸ばしてあたしの頭に触れた。ぽん、と軽く叩かれる。
「じゃな」
帰る流嘉の姿を目で追って、そのまま上半身だけ後ろを向く。流嘉は振り返らない。 あたしだけが流嘉を見つめる。
生徒会室のドアが開いて、流嘉が出ていく。ドアが開いている間だけ、外の喧騒が中へと届いた。少ししてまた部屋の中が静かになる。
流嘉は振り返らなかった。
言えないのに。伝えることなんてできないのに。どうして心だけはこんなに求めるんだろう。
あたしは流嘉の特別。なのに、それでも満足できない。欲張りで、救いようのない馬鹿だ、あたしは。
いつかは流嘉にも好きな男ができるんだろう。あたしも流嘉じゃない人を好きになるのかもしれない。頭ではわかっていても、そんなのは嫌だった。
小さくため息をついて、視線を前へ戻す。当たり前だけど、そこに流嘉はいない。
彼女のいない場所。いつか忘れてしまうのだろうか。これに慣れてしまうのだろうか。
そうなったらもう死んでもいいかな、と少しだけ思う自分がいて、あたしは苦笑する。流嘉の考えに似てきている。
「あ……」
流嘉、本忘れてる。そこには流嘉が読んでいた本が置きっぱなしになっている。
自然と手が伸びていた。
流嘉を知りたくて、少しでも知りたくて、気付くとページをめくっていた。
――Fin――
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