第二章

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1927年11月7日敵対政党の集まるミューンヘンのビアホールへ殴り込みます。そして次の日のデモ行進で警官隊と衝突しヒトラーは腕に負傷します。そして反逆罪の罪で逮捕・投獄されす。ヒトラーは絶望し自殺まで考えましたが、窮地を好機に変える手を思い付きます。国民を愛してるがために行動を起こしたと裁判で訴えます。見事に的中し国民の支持を得る事が出来ました。獄中では「我が闘争」を執筆しましす。そして異例の禁固五年の刑が言い渡されました。 1926年には、後の宣伝相となるゲッペルスをベルリンに派遣し、国民の支持を得ます。 1933年最初のユダヤ人収容所を設立します。 1934年六月、初期に設立し最もナチに貢献した、突撃隊(SA)を惨殺します。当時国防軍と突撃隊は対立関係にありました。まだヒトラーには国防軍は必要です。突撃隊の集会に新しく設立した親衛隊(SS)を連れて行き、隊長レームを含め突撃隊を惨殺したようです。そして形だけでありましたがルーデンドルフ大統領が死去し、国防軍も自分の手中におさめます。 そして1934年9月ニューグンベルト大会において、全ての実権を握る事になります。
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