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「でも、それだけでは足りないようにも感じた。沙織さんはどう思います?」
「そうですね、足りないと言えば足りな……ん」
「足りなん?」
男はにこにこと微笑みかけてくる。しかし、沙織は身の危険をさえ感じていた。
今、この男、確かに「沙織さん」と言った。どうして名前を知っているのだろう。沙織は不審に感じながらも、男の様子を観察した。
「あの、どうして沙織って」
「ああ、すみません、いきなり名前で呼んでしまって」
「いや、そういうことではなくて。どうしてわたしの名前を御存知なのでしょうか」
男は別段、驚いた様子もなく、満面の笑みでこう答えた。
「ミステリー?」
沙織はこの場から、全力で逃げ去ろうかと思った。この男はきっと、ストーカーか何かで、わたしのすべてを知り尽くしているに違いない。
沙織が身構えた途端、男は笑って彼女の首もとを指さした。
「嘘々、マフラーですよ」
沙織のマフラーには、刺繍で小さく「Saori」と縫われている。男はそれを見て、沙織の名前を知ったのだ。そもそも、自慢できるほどの美貌も無い彼女を、ストーカーするような男はいない。
沙織は少し安心したと同時に、妙な気分になった。
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