釧路奇襲1943年

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1943年11月初旬大統領執務室。其では今回の北海道釧路奇襲作戦内容を説明します。11月15日にシアトル港を出航、カムチャッカ迄列島沿いを航海、其所から釧路はクリル諸島を挟み2000キロ、1日で択捉基地、釧路は射程圏内、日本本土を攻撃破壊します。日本第一艦隊が急いでも2日はかかり、我々はカムチャッカで日本第一艦隊を待ち伏せ、空軍と巨砲45センチ砲弾で敵第一艦隊を攻撃。敵第二艦隊はグアムですから距離的に無理です、台湾での敵戦力を見る限り、我々の空軍が勝っています、況して此から冬が流氷を運ぶ時期ですから警戒心は薄いと思われます、オーストラリアからアメリカの艦でソロモン諸島を攻撃、台湾も大規模爆撃する様マッカーサー陸軍指令長官にお願いします。尚、今回は暗号を変更万全を期せます。スプルーアンス君に全て任せる、ヨーロッパが片付けば連合国が日本の戦いに集中出来る、ジャップなど捻り潰す!・・・・木更津飛行場で数機の模擬訓練をしている、権蔵と山本は空を見上げていた、試作機として10機作りました素晴らしい戦闘機です。確かに凄い!雷電や富獄を見た時も驚いたが、最初本当に翔べるのか心配した位だ、対空、対戦車、50ミリ機関砲2門、雷電と同じVー16気筒エンジンを後ろに2基、8枚羽プロペラ双発の後退可変翼戦闘機、爽來です。最速870キロ、高度20000メートル迄一気に加圧式操縦服と酸素マスク着用です。戦車の上部は砲頭部分は強固ですが、他の部分は爽來の50ミリ機関砲で破壊出来ます、対空は勿論。艦上機には少し大型なので地上基地に配備出来れば山下大将も喜ぶかな。嫌、大和と武蔵なら充分離着陸出来る。奉文より先に・・・長官が笑っていた。
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