The night

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   雪の勢いは降り始めの頃に比べるとかなり強くなっていた。斜め上からやってくるおびただしい数の白い斑点に視界が覆われ、きちんと前を向いていることもままならない。やがて犬の走る速度は徐々に落ち、ついには立ち止まった。  辺りには、犬の他には誰もいなかった。それどころか、虫の一匹すら――生きものの気配は皆、降り積もる雪に埋(うず)もれていた。  雪たちが激しく踊り狂う中で、犬はふと自らを見下ろす。そこで目についたのは、服の裾にべったりとついた黒っぽい汚れ――よく見回すと、その汚れは服の裾のみならず全身の至るところ、先程子供の口を押さえた掌にまでこびりついていた。それらはもうすっかり乾き固まっていたが、犬の鋭敏な嗅覚はかすかに漂う鉄臭さを嗅ぎとった。  まったくひどい格好だった。あの時表通りでぶつかった女が間抜けな声を出したのは、きっとこの血塗れの見た目のせいだ。しかし何よりもひどかったのは、全身が血塗れであることではなく、その血が全て他人のものだということだった。  そんなおぞましい己の有様を見た犬の脳裏を、ある言葉が横切る。――「真っ赤な服」、とあの子供は言った。だが、不思議なことにそれを聞いた犬に思い浮かぶのは、イルミネーションに彩られた街角に立つ小太りの老人の人形だった。たっぷりした白い顎髭、人が良さそうに細められた目と目尻に刻まれた深い皺、そして鮮やかな赤のコートとズボン。しかしあれに比べて、こちらを赤と呼ぶには少々酸化しすぎていた。  老人の着る赤と、犬の着る赤。この二つは色も臭いもまるで異なるものとして犬は認識していたが、どちらもおよそ「赤」という一つの単語で一くくりにされているのが不可解極まりなかった。だのに、無意識に両者を結びつけている自分がいる――甚だ馬鹿々々しい。  決して同じであるはずがないのだ。この「赤」は、あれとは似て非なるもの。街行く人々の笑顔とも、華やかな飾りつけとも無縁の色。凄まじい断末魔と、人目を避けた路地裏が似合う色。  
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