A Hound

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   街の中心地から数十キロ離れた閑静な郊外の林の奥。人の背丈の数倍はあろうかという高々とした柵の向こうに広がる広大な敷地では、大小の噴水がいくつもの水の華を咲かせ、空気中で凍った飛沫が朝日を受けてきらきらと輝いていた。周囲に人の気配はなかった。聞こえるのは、流水音と、雪の重みに木の枝の軋む音だけ。犬は門の前に立つと、頭上にある小さな監視カメラを睨み上げた。  ――生体反応、確認。静脈認証開始……。  抑揚のない合成音声が、カメラの下部についているスピーカーから流れる。  ――……認証エラー。該当するデータがデータベースに存在しません。  直後、エラーを知らせる警報が林一帯にけたたましく鳴り響くと、犬は突然どこからともなく現れた数十名の黒スーツの男たちから一斉に銃を向けられた。彼らは少しのためらいもなく銃の安全装置を外し、犬に照準を合わせてくる。  犬は、彼らが自分と同じであることを知っていた。彼らの任務はこの敷地の入り口を守ること。「エラー」は侵入者の証、見つけしだいただちに抹殺。彼らの脳にはこの二つの事項が焼き付いているのみであって、その他を考えることは必要とされていなかった――ボス直々の命令がない限りは。  黒スーツのうちの一人が今にも発砲せんと引き金にかけた指を曲げたとき、今度はわざとらしいほどに抑揚のきいた声が流れてきた。  ――はい、ストップ、ストップ。お前たち、銃をしまえ。そいつは侵入者じゃァない。  これを聞いた途端、犬を取り囲んでいた銃がまた一斉に下ろされた。犬も、万が一に備えていた構えを解く。すると、  ――セキュリティロック、一時解除。  という音声とともに、門がゆっくりと、ひとりでに開いた。  ――さあ、早くご主人様のもとへ帰ってくるんだ、……ワンちゃん。  ブツンとマイクの電源が切れた音を最後に、それ以上スピーカーが喋ることはなかった。  銃を手にだらんと両腕を垂れて突っ立っている男たちを一瞥し、彼らのじっとりとした視線を背中に受けながら、犬はふいと向きを変えて敷地内へと入っていった。  
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