A Hound

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  「そう、そう。一ヵ月前だ! よく覚えていたなァ、お利口さんだ。でも、そうだ、あれからまだ一ヵ月しか経っていない」  言葉が最後のほうになるにつれて、声から抑揚が失われていく。 「いいか、ハウンド。組織の動きが明るみに出て困るのはお前じゃない。――おれだ! このおれが、お前ごときのために、余計な手間をかけさせられるようなことがあっちゃあならない! ……断じてだ!」  ボスは顔を朱色に染めて激昂し、新聞紙を床に叩きつけた。大理石の上でバラバラになったそのうちの一枚には、昨日の逃走劇の様子をしっかりと収めた写真が掲載されている。画像が不鮮明で、こちらの顔がはっきり判別できないのが唯一の救いだった。 「分かったな?」 「……イエス、ボス」  凄味をきかせるボスに、ハウンドはただ返事をした。心臓が、ぎゅっと縮む。 「さて、悪いニュースの次は良いニュースを聞かせてくれるんだろうな、ハウンド?」  軽い咳払いとともにソファに座り直し、ボスは先ほどとはうってかわって穏やかな調子で尋ねてきた。 「あれさえあれば目障りなハエどもを一掃できる――さあハウンド、『例のもの』は」 「イエス、ボス。ここに」     言いながらズボンのポケットに伸ばしたハウンドの手が、ぴたりと止まる。  ――ない。  こめかみの辺りに、嫌な汗がじわりと滲む。ちゃんと「例のもの」を入れたはずが、ポケットを上から押さえても何の手応えもなかった。中に手を突っ込んで調べてみても、中味が空っぽという事実しか掴めない。失くしたのだろうか、とか、そうだとすればどこで、とかいうことはもはや問題ではなかった。重要なのは、「例のもの」がないということそれ自体――ハウンドにはそれが何よりも恐ろしい怪物のように思えてならず、しかもその怪物は、ボスの期待に満ちた瞳にちらつき始めた陰りの奥で今にも目覚めようとしていた。  
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