ユニオン・ジャックなあんちくしょう。

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実車の話も少ししておきましょう。   90年代のツーリングカーレース。 当時、日産の2枚看板ともいえる ホシノレーシング そして ハセミモータースポーツに ニスモから供給されたR32GT-R(以下GT-R)は、 90年のJTC(全日本ツーリングカー選手権)の開幕戦において、 観客、そして他チームの度肝を抜く異次元の速さで優勝という、華々しいデビューを飾ります。 ホシノ、ハセミ両チームのGT-R2台はGr.Aにおいて圧倒的な強さを誇り、 91年のシリーズでは 長谷見昌弘/A・オロフソン組のリーボックスカイラインがシリーズチャンピオンに輝きました。 以降、各レースにおいて GT-Rは無敵の連勝街道をひた走り、 (GT-Rでなくては勝てない) と言われる時代を築き上げていきました。   なぜGT-Rの排気量が2600cc(厳密には2568cc)なのか、 なぜ4WDを採用したか知ってますか? それは   (Gr.Aで勝つため。)   日産はGr.Aのレギュレーションを研究し尽くし、 「レースで最も有利になる」 と言う理由で2600ccという排気量と4WDというメカを採用しました。       (R32GT-R。それは、Gr.Aで勝とうとして、日産が唯一本気になった車。[長谷見昌弘氏談])  
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