旅の終わり

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「何かお話をして」 テサロニキから発つバスの中。 その子どもは、隣に座る老人に、微笑みながら言った。 老人は、その子の帰るべき居場所が何処なのかさえ今だ知らなかったが、それでも、この時ができるだけ長く続けばいいと、心からそう思っていた。 「お話?・・・そうだな。よし。では・・・」 老人はコートのポケットの上に手を置き、きらきらとした青い目でこちらを見つめるその子どもに、話を続けた。 「言葉を探して旅を続けた、一人の愚かな男の話をしようか」 老人は子どもの方にその体を向け、物語を語り始めた。 それは、とてもゆっくりとした口調で、とても優しく、歩いて来たことさえも不確かだったその道の足跡を探すように。灰色の景色の中で自らも忘れかけていた人生の証を探すように。 ゆっくりと、ゆっくりと、そして優しく、老人は語り続けた。 『ああ。何故。愛し方を間違えてしまったのだろう。 私は、言葉で何を繋ぎ止めようとしていたのだろう。 あの人と居られること、それだけで、幸せだったはずなのに。 言葉を探すことに夢中で、落としてしまったものにさえも気付かずに。 ああ。何の為に、私は。それさえ忘れて。それさえ、忘れて。 ・・・やっと男が気が付いた時には、もう全ては遅かった。 だが、男はそれでも言葉を探し続けるしかなかった。 それしか、残っていなかったのだ』 「・・・話はこれでおしまいだ。ずいぶん長く話してしまったが・・・、よく起きていられたね」 老人が物語を語り出してから、もうずいぶんと長い時間が経っていた。 いつの間にか景色には闇が降り、外にはささやかな雨が降り始めていた。 老人は、ずっと自分の話に耳を傾けていた子どもに微笑みかけ、その黄金色の髪をそっと撫でた。 その子は話を聞いて少し悲しそうな顔をしていたが、老人のにこやかな顔を見て、すぐにまた天使の様な笑顔を取り戻した。 それからしばらくの間、長い沈黙が続いた。 それは優しい、二人にとって大切な沈黙であったが、同時にそれは、二人に別れの時が近づいていることを、実感させる沈黙でもあった。
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