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「そうですとも。・・・私は昔から歌劇を作りたかった・・・いや、歌劇を作る為に音楽家になったと言っても過言ではないのです・・・だから」
「それは・・・初耳ね。
応援しておりますわ、有坂先生?」
有坂崇拝者の一人である私も初めて聞く事実だ。
彼がここまで歌劇に情熱を注いでいたとは。
・・・とにかく、私は愛する有坂先生を応援しようと思う。心からの声援を有坂に送った。
・・・しかし。
「残念ながら、ご期待に沿う事は難しそうです・・・私に残された時間はもういくばくもないのです」
半ば自嘲するように笑みを浮かべると、突如、老紳士は身を激しく揺すり、激しく咳き込んだ。
掌を紅く染める鮮血を示し、有坂は喘ぎ喘ぎ、声を搾り出した。
無理矢理に拵えた微笑が痛々しい。
「私の途方も無い試みの為に協力してくれる劇場も歌手も見つかりません。
皆、日本人による歌劇など、馬鹿馬鹿しいと憫殺して憚らぬのです。
・・・私の胸に絶えず燃え上がり続けた我が理想の炎が、このまま久遠に消え失せるのが悔しくてなりません」
有坂は両の拳を強く握り締め、擦れきった喉より苦しげな自嘲を絞り出す。
この哀れな老人の魂の慟哭を耳にしては、最早私もそれを座して看過する事は適わなかった。
私は有坂の右手をしっかりと両の掌(たなごころ)で握りしめ、頷く。
「・・・有坂先生の胸に輝く理想は、きっと私が実現させてみせますわ。
劇場も歌手も楽団も。私が全て用意します。
いいえ、心配なさらないで。私は貴方の夢の為に力を尽くします。この有り余る富を以て、ね」
有坂がワグネルならば私はバヴァリアの狂王。天才の窮地を救うのは夢見る貴顕の責である。
有坂の歌劇が幻に終わるのを見過ごすのは芸術に対する万死に値する罪である。
私は決意した。私の財産を彼の夢に投資することを。
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