第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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五分に刈り込んだ髪。作務と辻説法とに焼けた褐色のましら似の面立ち。麗人の規矩にはまるで当てはまらぬ貌形ながら、澄明な団栗眼と的皪(てきれき)たる皓歯とを煌めかせて咲笑う風情には凛々しき青年将校の趣があった。 きっと白妙の海軍軍装を身に纏って都大路を歩めば、擦れ違う乙女たちの視線を一身に集めることであろう。 小粋に担いでみせる旅行鞄(トランク)は法会にも托鉢にも持ち歩く彼女愛用の品だけれど、四方に盗難除、厄除、安全祈願など数多の御札が無造作に貼り付けられた様は奇妙の一語に尽きる。 彼女が住持を務める塩竃寺(えんそうじ)は東京市内の侘しいアパルトマンの一室を伽藍とする小刹で、青嵐の養親たる芳岳尼の開山以来、陸奥国(むつのくに)一宮・鹽竈神社の旧別当〝法蓮寺〟の法灯を継ぐと号して山門再興に情熱を傾け続けている。 托鉢を(よすが)とする塩竃寺の営みは日々の食事にも事欠くほどの有様であったけれども、恬澹たる青嵐尼は赤貧の惨状を快活に笑い飛ばすのが常であった。 「この度はどうも。塩竃寺の曲木青嵐と申します。誠心誠意を以てお勤め致しますので、どうぞ宜しく」 やがて天幕の入口へと至った青嵐尼は美しい合掌の所作と共に頭を垂れる。 勤行で磨き上げたよく通るアルトの美声が間近で響くや、若き尼僧について興味津々の様子で論評を盛んに囁き交わしていた客人一同は忽ち口を(つぐ)み、起立して恭しく今夜の導師を迎えた。 (青嵐尼の颯爽たる女丈夫ぶりは、かなり好意的に受け止められた様だわ) 平生は自由放埒な帝都暗黒街のクルチザンヌたちが、厳格なミッション校の女生徒よろしく一挙一動を揃えて応接に臨み得るのは楼主の手厚い教育の賜物に違いない。 「有難う。 いや、しかし、皆美人さんばかりで緊張するなあ。 マリアンヌさんに、ジュスティーヌさんに、セリーヌさんに、エロイーズさん? とってもハイカラなんだ。素敵だね。 あれは、綾乃さん。知ってるよ。有難うね。 ・・・そうだ。あたし堅苦しいのは苦手だから、ランちゃんって呼んでよ。チイちゃんでも良いな。千賀子っていうんだよ、俗名」 馨の案内で上座に座すや、青嵐尼は持ち前の気さくさで瞬時にして曲者だらけのクルチザンヌらと打ち解け、和やかな談笑の花を咲き乱れさせる。 〝まあ、既にご住職様でいらっしゃいますの?御立派ですのねぇ〟 陰影が悪戯を働けば天平の阿修羅像にも似る端正な眼許を具えた少年めいた(かんばせ)と爽やかな挙措は、冷酷な審美眼を持つマリアンヌの御眼鏡にもかなったとみえ、若き尼僧は彼女からも格別の親愛を以て遇されていた。 ※東京市:1889年~1943年まで存在した市。東京府の府庁所在地。現在の東京23区の母体となった。1943年の都制施行により東京府・東京市は廃止された。 法蓮寺:戦国時代末期~江戸時代にかけて、現・宮城県の鹽竈(しおがま)神社を別当として取り仕切り隆盛を誇った寺院。廃仏毀釈運動により明治三年に廃寺となった。 クルチザンヌ:仏語で高級娼婦を指す。
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