第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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「ありがとう、良い返事だ。嬉しいな。 判じ絵を読みながら、あたしの後に復唱してね。 〝ぶっ、せつ、まか、はんにゃ、はら、みっ、た、しんぎょう〟」 青嵐尼もジュスティーヌ一行の純真な生徒ぶりに感激を覚えたらしく、皿鉢(さはち)のような眼を輝かせ歌うが如くに唱導を始める。 仏像(ぶつ)雪達磨(せつ)逆さ羽釜(まか)般若面(はんにゃ)(はら)蜜蜂(みつ)田圃()。 ・・・神鏡(しんきょう)? ふりがなこそあれど素人の手作りによる拙い版画は判読が難しく、復唱は紅葉に()かるる渓流(たにがわ)の如くに淀まざるを得なかった。 「いいね!その調子だ。 自信を持ってもっと大きな声でいこう。馨さん、遠慮しちゃいけませんよ。もっと声を張って! 〝かん、じ、ざい、ぼ、さつ〟」 それでも青嵐尼は私達の辿々しい読経を高らかに褒め、鼓舞に努める。うまからずとも褒めるのは故地、塩竈を()ろしめした藩祖─貞山公の御遺訓に倣ったものかしら? 蜜柑(かん)()材木(ざい)坊主(ぼう)御札(さつ)。 「おお、セリーヌさん。お腹から声が出てるね。マリアンヌさんもいい声だ。ジュスティーヌさん、エロイーズさんも素敵だよ。 馨さん、声が出てきましたね。綾乃さん、朗読会で鍛えた喉でどんどん引っ張って! 〝ぎょうじん、はんにゃ、はら、みっ、た、じ〟」 行司(ぎょうじ)。ん。般若面(はんにゃ)(はら)蜜蜂(みつ)田圃()。・・・(じい)? 「〝しょう、けん、ご、うん、かい、くう〟」 (しょう)(けん)碁盤()()、ん、(かい)()う。 「〝ど、いっさい、く、やく〟」 御堂(どう)賽の目の一(いっさい)九曜紋()薬瓶(やく)。 やがて、(つか)(つか)えのジュスティーヌらの声が、(しるべ)として響かせた私の声に和し始めた。 判じ絵の(パターン)に慣れてきた為か、或いは盛んな激励と放歌高吟の快さに躊躇いを忘れた為か、復唱を重ねるごとに読経は流麗さを増してゆく。 〝しゃー、りー、しー!〟 私の声。馨の声。明瞭で凛々しくも強張ったジュスティーヌの声。可憐ながらか細いエロイーズの声。婀娜(あだ)っぽく歌うが如きマリアンヌの声。年経りた蛙の様に嗄れたセリーヌの声。 まるでばらばらの六つの声音が紡ぐ般若心経は次第に一つの旋律を織り成していった。 ※貞山公:初代仙台藩主、伊達政宗の(おくりな)。遺訓として伝わる言葉の中には〝朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし〟とある。 歴代仙台藩主は鹽竈神社の崇敬篤く〝大神主〟として神社を取り仕切ってきた。
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