第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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七色の声の縒糸(よりいと)で織り成した不可視の虹の羽衣は、斯くて高らかに奉献せられた。 これで、未だ現し世に留まるという月の女王の御霊は遥けき月宮殿へと還ることが出来たかしら? 流れる雲の(きれ)に磨かれた月の神鏡(かがみ)は、冴え渡る白金色の宝冠を戴いて一層玲瓏と煌めきたつ。 けれど、一心不乱に声を和しての読経にもかかわらず、天空の海原に浮遊する月は巨大な真珠の如く只管(ひたすら)に沈黙を守り続け、虚空に架かる光芒の(かけはし)に眼を凝らせど天翔る舞姫の姿は影も無い。 声の限りを尽くして唱え上げた般若心経の残響は泡沫(うたかた)の様に夜闇の奥に消え入り、沙漠の湊に再び金属質の静寂が訪れる。 三度(みたび)の斉唱のもたらす高揚感に酔い痴れて夢現の(さかい)に没入していた暗黒街の少女たちは、廃園に満ちゆく粛然たる静謐の冷たさに夢を破られ、(やや)狼狽えた風情で四方を見渡した。 さながら猟人の銃声に眠りを脅かされた夜半の雲雀(ひばり)のように。 ・・・そして、彼女たちは一どきに瞳を曇らせた。 瞳に鏤められた熱情の星屑は、刹那にして失望の錆に蝕まれてしまったのである。  「嗚呼・・・ディアーヌ御姉様ディアーヌ御姉様ディアーヌ御姉様。何故ですの、ディアーヌ御姉様?ディアーヌ御姉様は、どうして沈黙を続けられるのですか?」 読経を完遂し安堵の息をつかんとした青嵐尼は、冥府の底から響く悪鬼の呻きの如きセリーヌ嬢の独白を突如(そびら)に浴びて、びくりと肩を震わせた。
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