第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

36/66
前へ
/1264ページ
次へ
セリーヌも、ジュスティーヌも、エロイーズも、皆等しく〝奇跡〟の成就を(こいねが)っていた。 彼女たちは、然るべき(しるし)を欲しているのだ。 月の女神の昇天を証す(さや)けき験を。 ・・・しかし、天地(あめつち)は緘黙し、風もまた素知らぬ顔で廃園を過るだけ。 月の巫女らの切なる祈りに報いたのは、無慈悲な迄の静寂であった。 静寂─まるで、大気そのものが刃に変じたかの様な、透徹なる静寂。 宇宙の一切が凍てついたかの様な、峻厳なる静寂。 白金(プラチナ)色の月影。草履の裏の幽けき砂の鳴音。烏羽玉の闇。 耳を澄ませても、私達を取り巻く万象は粛然として奇跡の成就を否み続けている。 神までもが死に絶えた、全き死の世界。 これが死せる乙女が焦がれ続けた天上界の景色だとすれば、彼女は、死後の賜物にも孤独を求めていたのかしら? より純度の高い、澄明な孤独を。 現世の塵ばかりか、神からさえも自由な孤独を。 呼吸をすれば肺が切り裂かれそうなほど、空気が研ぎ澄まされてゆく。 これはきっと、万物の死に絶えた世界に一人佇む孤独。そして、神から見捨てられた孤独。 凡そ人類史に於いては、磔刑台の上の基督(キリスト)の他には誰も辿り着いたことの無い、究竟(くっきょう)の孤独。  神秘の不成就、神仏の沈黙、そして、この寂寞の意味を説き明かすべき青嵐尼も紡ぐべき言葉を見失い、悲嘆に暮れるセリーヌ嬢を前に右往左往するばかりだった。
/1264ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4250人が本棚に入れています
本棚に追加