第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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「そうだね。 ねえ、セリーヌさん。きっとディアーヌさんも皆と一緒に食卓を囲みたいのさ。だから、今は天幕に戻ろう。大丈夫。あたし達の御経はちゃんと受け取ってくれたさ。  ジュスティーヌちゃん、エロイーズちゃん。君たちも腹ぺこだよね? 食べながら大いにディアーヌさんの事を語り聞かせてほしいな。思い出話に花を咲かせるのも供養になる筈だから」 帝都裏社交界(ドゥミ・モンド)に冠たる薔薇の女王マリアンヌ嬢の放言を鶴の一声として、青嵐尼は墨衣を掴んで離さぬ隻眼の淑女を斎食の席へと導かんとする。 「ほら行くよ、セリーヌ。 ひょっとしたら、あいつ、思い出話の途中で顔を出すかも知れないよ? それとも、照れちまって大慌てで月に逃げていくかな? あんたの情熱にも知らん顔を極め込むような薄情者は、一寸凝らしめてやりゃいいんだ。 そうだ、エロイーズ。今日の料理は、料理長とあんたが作ってくれたんだよね。本当にありがとう。楽しみだな」 「うう、ん。わたし、は、味見と、運搬、だけ・・・でも、献立は、いっ、しょに考えたの。 セリーヌ・・・あなたも、お腹、すいた、よね? 皆で、食べよう? ディアーヌといっしょ、に、ご飯、なんて、うれしい。ひさしぶり、だもの」 ジュスティーヌとエロイーズは間髪を容れずに青嵐尼の説諭に同調し、セリーヌのドレスの両袖を引く。 セリーヌの強情を諫める役回りを演じつつも、その実二人の胸裏がセリーヌと同様に、神秘の不成就への恐れに満たされているのは明白だった。 そして、悲劇的な幕切れを先送りし得たことに安堵を覚えていることも。   危難の鞠はマリアンヌ嬢によって天高く蹴上られ、私達は暫時の平安を喫することが叶った。 ・・・けれど、()の難局が再び眼前に舞い降りてきた時、私達は今度こそ不可避の破局に臨むこととなる。 その時私達は、なにがしかの術策を用いて忌まわしき嘆きの天使を降伏(ごうぶく)せしめ、巌の如き神々の沈黙を破らねばならないのだ。 安堵と恐怖とを分かち合い、一同は益々快活になった。 重苦しい憂悶から刹那の逃避を図るために。 やはり、共犯の意識は強固な紐帯をもたらすのである。哀しむべきことに、信頼や友愛よりも、なお。 「エロイーズ、本当に有難う。 あんなに大きな(バスケット)を二つも提げて、大変だったでしょう? お料理、楽しみにしているわ。馨が拵えたお寿司も沢山召しあがれ」 頭一つ分長身のセリーヌの手を引いて歩を進めるおかっぱの少女に斯く労いの言葉を掛けると、彼女は忽ち白磁の頬に紅葉を散らし、綿毛の様な幽けき声をぽそぽそと紡ぎ始める。 「・・・い、いえ。少しでも、お役に立てたの、なら、よかった。  わあ、お寿司・・・うれしい、な。馨、さんって、とっても、器用な使用人さんなん、ですね」 「滅相も御座いません。 職人の業には到底及びませんが、せめて皆様の食卓に興を添える一品となれば幸いです。私めもエロイーズ様に御用意頂いたお料理、御相伴に与るのが楽しみで御座います」 ランタン片手に一同を天幕へと誘導する馨は、辿々しく聞き取りづらいエロイーズ嬢の言葉に頷きながら耳を傾け、温雅な微笑を以て賛辞に報いてみせた。
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