第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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紺瑠璃の茄子。茜色の茗荷。翡翠色の漬菜。月白の花を象った酢蓮。猩々緋の蕃茄。紅緋の化粧(けわい)の蒸海老。檜皮色の(きのこ)。ひと刷毛の織部色に鮮やかな鬱金色が目映い南瓜。花緑青の胡瓜。梅紫と桜色の二十日大根。そして、真中に輝くは錦糸玉子と栗で拵えた承和色(そがいろ)の月。 一同が見詰める重の中に敷き詰められていたのは、宝石の如く煌めきたつ手鞠の(なり)の小さな御寿司。 視線を滑らせれば、さながら虚空を翔ける玉虫の軌跡の様な虹色の影が渦を巻く。 自ら光を放つ異形の月を廻る奇しき宇宙の天文図。或いは月天の巫女の法会を荘厳する匣詰の曼荼羅。 「まあ、これは大したものね。まるで万華鏡だわ。本当に器用なんですのねえ、貴方」 「へえ、凄いじゃないか馨さん。これは星かい?真ん中のは月だよね」 「きれい・・・それに、おいし、そう。でも、こ、んな、力作のあとで、お弁当・・・お披露目するのは、こわ、いな」 「感激致しました。嗚呼、大層美しゅう御座いますわ。星月夜の意匠に御座いましょうか? 星屑の精に囲まれて戴冠する月の女王の威光が見事に描き出されていますわね。嗚呼、ディアーヌ御姉様への無上の供物ともなりましょう」 珍しからぬ蔬果を素材に玲瓏たる形而上銀河を描き出してみせた我が従僕に、満座の喝采が雨霰と降り注ぐ。 「恐縮に御座います。さる御屋敷で拝見した蔬果図の軸に想を得たのですが、御賞翫に堪える品と評して頂けたならば幸いに存じます」 心の海原の波音を秘し安心立命(あんじんりゅうめい)の教えを体現するが如く佇む馨は、幽けき微笑を以て賛辞に報いるのみだった。 「それでいて天狗にならないんだから、偉いなあ。主の綾乃さんは鼻高々だろうなあ。 あ、いや、誤解を招くような茶々を入れないでよジュスティーヌちゃん!  綾乃さん!あたし、綾乃さんが高慢ちきな女天狗(にょてんぐ)だなんて言ってませんからね!」 「失礼な言い種ね、庵主様? ・・・けれど御名答よ。私は女天狗ではなく羅刹女。貴女の生肝を食べて差し上げようかしら。それとも肉醤(ししびしお)にしてしまおうかしら」 「人食い魔女の家に住み込みだなんて、まるでグリム童話の住人だね馨さんは」 けれども、その淡然とした応答は予期せずして彼の双肩に名匠の威風を纏わせ、却って熱烈な称賛を巻き起こす事となった(そして主人の私への雑言も) 「・・・エロイーズ様。貴女様に御用意頂いた御料理を拝見しとう存じます。大変な趣向を凝らされたと聞き及んでおりますが」 自身の挙措と、それが四方(よも)に及ぼす影響にはまるで頓着せず、馨は綺麗に前髪を切り揃えたおかっぱの少女に問い掛ける。 「・・・はい。わたし、と、料理長、さんで、頑張り、ました。たぶん、馨、さん、も・・・吃驚する、と、おもう、の」 エロイーズ嬢は陶製人形めいた白皙の頬を真っ赤に染めて、遠くの木の葉のそよぎの様な声で辿々しく(いら)える。 「吃驚、ですか。それは楽しみで御座います」 この刹那、俯く彼女の眼に明滅した不吉な炎に馨が気付く事はなかった。 あれは、懐に匕首を隠した刺客の眼差し。 眠れる世界を死に至らしめる恐るべき行為者の眼に他ならない。
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