第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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「ああ、成程ねえ・・・ユイスマンス。デゼッサント卿の〝喪の宴〟の模倣という訳ね。ヌーボーさんのエロイーズにしちゃ気が利いてるわ。綾乃さんと馨さんは御存知でしょう、ユイスマンス? あの捻くれ者のディアーヌにはぴったりだわ。でも、まあ、あの子にはきっとこんな諧謔は伝わらないでしょうけど。天文以外にはまるで疎かったものねえ」 エロイーズの訥々とした弁明を聞き届けたマリアンヌはどろりとした眼を細め、得心の証に柏手(かしわで)を打つ。 「エロイーズ、よく頑張ってくださいましたね。素晴らしい供物を本当に有難う。 きっとディアーヌお姉様も貴女の事をさぞやお褒めになっている事でしょう。 素晴らしい供物ですわ。まるで新月の夜闇のよう。きっとお姉様も大層お気に召される筈ですよ」 ユイスマンスの名に隻眼を赤く閃かせたセリーヌは突如、黒いレエスの手套に包んだ青白い指先でエロイーズの手を鷲掴みにし、年経りた蛙の様な嗄れ声で熱烈な賛辞を贈った。 「わ・・・っ、痛い! やめて、セリーヌ。貴女、いちばんの力もち、なんだから。 ・・・でも、気に入ってもらえ、て、良かった。ジュスティーヌ。驚かせて、ごめん、なさい。きっと、ディアーヌは、こんな不謹慎が、好きだと思ったの。皆、どうぞ、召し、上がって。おかしな、ものは、入っていないから」 〝フランケンシュタインの怪物〟じみた剛力を発揮せんとした洋装の淑女の繊手を間一髪で振り払ったエロイーズ嬢は、涙の滲む眼で紫檀の卓子を囲む一同を見渡し、黒尽くしの料理を勧める。 「いやあ、御馳走だなあ。こんな珍しい料理を振る舞って貰えるなんて夢みたいだよ。しかし、本当に良い匂いだ。有り難く、頂戴致します」 (バスケット)から横溢する薫香にすっかり酔い痴れた様子の晴嵐尼は丁重な所作で合掌しつつ、生唾で大きく喉を鳴らす(どうやら彼女は昨晩から欠食しているらしい) 「・・・そっか。本当にごめんよ、エロイーズ。あたしの物知らずを棚に上げて叱ったりして。あんまり凄い見た目だったんで吃驚しちまったんだ。本当に有難う。大変だったよね?」 「ううん。 ・・・謝らないで。わたし、皆を、びっくりさせたかったの。きっと、ディアーヌは、こんな悪戯が、好きだった、筈だから。 だから、予想より、皆が、冷静で・・・すこし、残念、なの」 親友の存念が明らかになるに及び、脊髄反射の叱責を恥じたジュスティーヌは深く頭を垂れた。 己の過失を悟るや何の躊躇いもなく謝する事が出来るのは彼女の爽やかな美質である。 友の明快な詫び言にすっかり恐縮してしまったエロイーズは林檎の様に紅潮した顔を伏せ、一層か細い蜉蝣の羽音のような声で(いら)えた。 ※喪の宴:〝さかしま〟の主人公デゼッサントは喪の宴と称して邸宅に葬祭めいたデコレーションを施し、黒い料理ばかりを揃えた宴を開いた。十八世紀フランスの美食家グリモー・ド・ラ・レニエールに、こうした宴を催した逸話が伝わる。
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