第二十五章 葬送あるいは月世界渡航

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人間嫌い。高慢。寂しがり。潔癖症。希死観念。厭世。夢想家・・・   言葉の限りを尽くしてディアーヌ嬢の精緻な肖像を虚空に彫り上げようと試みても、(のみ)を振るえば振るうごとに却って彼女は、その輪郭線を朦朧とさせてゆく。 宛ら、自らが存在した事実そのものさえ霞の様に搔き消さんと望むが如くに。 ・・・肉体の蛹を捨てたかの少女の御霊は、意識や思唯からも自由な透明な夢見鳥に化身して顕界から遥けき月世界へ飛び立つのだろう。背中の翅の帆を広げ、往きては還らぬ星の海原へと。 それにしても、ヴェルサイユの最愛王のように〝生ける疑問符〟として生き、バヴァリアの狂える白鳥の王の如く儚い謎として死にゆくだなんて、魂の高潔を矜りとする少女の往生譚としては金甌無欠(きんおうむけつ)の出来映えだわ。 天啓の様に訪れ、いつしか過ぎ去る輝かしい驕りの季節。 ディアーヌ嬢は、その季節の盛りに死んだ。悉く繭の内で朽ち果てる徒な運命の聖少女たち(だなんて侮辱ね。唯一無二であるべき少女の魂に向かって) に、彼女は伍するを潔しとしなかったのだ。 非難めいた朋輩たちの論評が何処と無く称賛の響きを帯びるのは玻璃(ガラス)の美意識へのに、畏敬を禁じ得ぬ所為であろう。 「ほんとぉに、あべこべな人格(ペルソナ)。 ああ、ひょっとしたら敢えてミスティフィカシオンを演じていたのかも知れないわよねぇ? 奇天烈な言動で〝超俗の天才〟の仮面(ペルソナ)を作り上げる為に。 ・・・そして、あの()はお望み通り天才として帰天した。いいえ。実は、天才たるがゆえに夭折を余儀無くされたのじゃなくて、夭折が彼女を天才として完成せしめたのじゃないかしらねぇ。 偽りの聖女として火刑に処される前に煙になってあたくし達を永久に煙に巻いてみせたのは天晴れだわね。 まあ、(とう)がたつ前に美しく伝説になり(おお)せたんですもの、それだけでも大したものだわ。あたくしにはついぞ叶わなかった偉業ですもの。 貴女はどぉお思い、エロイーズ? 女優という点に於いては貴女だって大したものよぉ? 何時もののろまの蒲魚(かまとと)ぶりが本性なのだか、華客(とくい)の将校様がたを豚と罵り足蹴にして鞭で折檻するのが本性なのだか」 酒杯を重ねるごとに白く澄みきってゆく彫刻めいた麗貌をもつマリアンヌ嬢は酒精漬けの脳髄に(はし)った閃きに任せ、賛辞とも雑言ともつかない言葉を放埒に撒き散らす。 「ちょっ、と、マリアンヌ・・・酷い、いい、ぐさは、やめて。いまに、セリーヌが右の頬も、左の、頬も打つよ。へいき、でしょう? たいせつな、イエス様の、教え、なら。 ・・・わたし、お芝居するのは、すき、なの。 楽、だもの。のぞみどおりの、台、詞を口にするだけ、だから。 ありのままの、自分、を晒すのは、とてもこわい、もの。いま、だって。 ディアーヌは、どうだったの、かな?」 故人の尊厳をも足蹴にするが如き言動を諫めるエロイーズの声は(かそ)けくも、彼女の大きな瞳に睨み据えられたマリアンヌは敢えて抗する事もなく殊勝に口をつぐんだ。 紡ぐ言葉こそ壊れかけの自鳴琴の様に繊弱で辿々しくも、鮮烈な輝きを放つ黒曜石の瞳は訥弁なエロイーズが人一倍強堅な自我の持ち主であることを如実に物語っている。 ※解説は次頁
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